この文書の位置づけ
「自分の弱さと向き合うためのパターン・ランゲージ(の種)」が個人の内側の戦い方だとすれば、この文書は同じ弱い自分が組織や会社にどう働きかけるかを扱う。
起点は同じ。自分は一人で完結できるタイプではない。自信は今もない。でも、当時と違って「不完全でも動き出す方法」を持つようになった。ここに書くのは、20年近いアジャイル推進のドタバタの中で、取り損ねたもの・学んだものから見えてきた、組織への働きかけ方の輪郭である。
回転寿司の教訓
すべての出発点にある気づき。
アジャイル推進の過程で、良いネタ(チャンス)は何度も目の前を流れてきていた。しかしそれを活かしきれなかった。振り返ると、取り損ねたネタには3つの種類がある。
- 見えていなかったネタ ── アジャイルイベントにも来るような組織長が「アジャイル思考を広める」と言っていたのに、その意味を当時は理解できなかった
- 食べたけど次の注文につなげられなかったネタ ── マイクロソフトのエバンジェリストの協力でde:codeで発表する機会を得て、お客さんから声がかかりプロジェクト支援まではいけた。しかしその先の継続的な仕事を見つけられなかった。単発の成功を積み上げに変える力が足りなかった
- 見えていたけど手が出なかったネタ ── 理解ある組織長が「お客さんのところに行って事例を作るしかないんじゃない?」と背中を押してくれたのに、怖気づいて踏み込めなかった
当時足りなかったのは自信ではない(自信は今もない)。不完全なまま動き出すやり方を持っていなかったこと。そして、小さな一歩を考えられなかった、考えても形にできなかった、踏み出しても続けられなかった。引き出しの不足と、「そこまでやるぞ」と思える感覚の不足が絡み合っていた。
Fearless Changeの言葉で振り返ると、見えていなかったネタの組織長は「経営層の支持者(28)」であり「達人を味方に(14)」だった。de:codeでの発表は「外部のお墨付き(12)」を得る機会だった。背中を押してくれた組織長もまた「経営層の支持者(28)」だった。パターンの名前を知っていれば、目の前のネタの価値に気づけたかもしれない。
もう一つ。社外の素晴らしい取り組みに気を取られすぎて、目の前のネタに手が伸びなかった。外の理想像に圧倒されて、ローカライズする前に止まっていた。
この教訓が、以下のパターンの土台になっている。
パターン一覧(種)
| パターン名 | ひとこと | 個人パターンとの対応 | Fearless Change |
|---|---|---|---|
| まずは妄想から | 制約を取っ払う儀式 | 再起動の呪文 | やってみる(17) |
| コピペとローカライズ | 他者の知恵を借りて翻訳する | レシピのない石のスープ | テイラーメイド(26) |
| 削ぎ落として手を繋ぐ | 人が乗れる余白を作る | 業の肯定 → 自分を理解した上で選ぶ | 協力を求める(6) |
| やりやすいところから火をつける | 話を聞いてくれる人から始める | 歩幅を正直にする | 小さな成功(2)、イノベーター(16)、アーリーアダプター(11) |
| 時間を味方につける | 小さな実績を積み上げる | ─(組織側で新たに出てきた要素) | 種をまく(22)、勢いの持続(41) |
| ブームに乗る軸 | 時流と自分の軸の折り合い | ─(組織側で新たに出てきた要素) | 便乗(21) |
| 最初のフォロワー | もがく姿から始まるムーブメント | 弱いからチームを組む | コネクター(8)、アーリーアダプター(11) |
まずは妄想から
問題
自分でやることを考えると「あれが…」「これが…」と制約を先に考えてしまい、動けなくなる。
解決策
意識的に制約を取っ払い、妄想から始める。
妄想は、制約に負ける自分を知っているからこそ必要な儀式。「不完全でも動く」とセットで機能する。妄想でアイデアの種を出し、そこから軽く形にし、伝手を辿って人に話しに行く。その先はわからなくていい。
個人パターンとの関係
個人では「再起動の呪文」が姿勢を立て直す。組織への働きかけでは「まずは妄想から」が制約を外す。どちらも、止まった自分を動かすためのトリガーである。
Fearless Changeとの関連
「やってみる(17)」── まず小さく動いてみせるという姿勢。妄想から始めて軽く形にするのは、完璧な計画を待たずに動くこと。
コピペとローカライズ
問題
自分はゼロから生み出せるタイプではない。かといって社外の素晴らしい取り組みをそのまま持ち込んでも、自分の現場には合わない。
解決策
自分の役目は「コピペの人」だと認める。他者の知恵を見つけてきて、自分の現場に合う形にローカライズする。
コピペ自体は弱さではなく強み。ただし、当時はローカライズが足りなかった。外の事例に圧倒されて、翻訳する前に止まっていた。大事なのは「借りてくること」と「自分の文脈に翻訳すること」の両方。
AIオーケストレーター研修のコンセプトは、このパターンの「コピペ」側の実践例でもある。和田卓人氏の「伴走と委託」、Kent Beckの「歩幅」、アジャイルソフトウェア開発宣言の「技術的卓越」。これらは借りてきた知恵であり、コンセプトに組み込んではいるが、ローカライズはまだしていない。このコンセプトを自分の会社の文脈に合わせるとどうなるか?──それがこれから挑戦しようとしている部分であり、「ローカライズ」の本番はここからになる。
個人パターンとの関係
個人では「レシピのない石のスープ」で他者の言葉を鍋に入れて煮込む。組織への働きかけでは、外の知恵をローカライズして現場に届ける。どちらも他者の力を借りる前提で動いている。
Fearless Changeとの関連
「テイラーメイド(26)」── 新しいアイデアを組織の文脈に合わせてカスタマイズする。外から持ってきたものをそのまま使うのではなく、現場に合う形に仕立て直す。
削ぎ落として手を繋ぐ
問題
自分一人ではうまくできない。多くの人の力を借りる必要がある。しかし、自分のやりたいことをそのまま持っていくと、他の人が乗りにくい。
解決策
自分のやりたいことを削ぎ落として、譲れないものは何かを考える。人と手を繋ぐための余白を作る。
ロマン(憧れ・理想)は持っていていい。しかし、ロマンが強すぎるとフォロワーが入ってくる隙間がない。予算をつける側も乗りにくい。削ぎ落として軸だけにすることで、他の人が自分の文脈で参加できる余地が生まれる。
個人パターンとの関係
個人では「業の肯定」で弱さを認め、「自分を理解して動き方を選ぶ」。組織への働きかけでは、自分を理解しているからこそ、やりたいを削ぎ落として人が乗れる形にできる。自己理解が、協働の前提条件になっている。
Fearless Changeとの関連
「協力を求める(6)」── 自分一人では無理だと認めて人を巻き込む。削ぎ落とすのは、助けを求めやすくするための準備でもある。
やりやすいところから火をつける
問題
比較的大きい企業で、いろんなことをしている。全部を相手にすると自分がすぐに負けてしまう。
解決策
話を聞いてくれそうなところ、興味を持ってくれそうなところから少しずつ積み上げる。
大きな組織を一気に変えようとしない。まずは聞いてくれる人を見つけ、そこで小さな実績を作る。完璧な計画で全体を動かそうとするのではなく、火がつきやすい場所から始める。
個人パターンとの関係
個人では「歩幅を正直にする」で等身大の歩幅を選ぶ。組織への働きかけでも、等身大のスケールで始める。自分が負けない範囲を選ぶことは、弱さの自覚から来ている。
Fearless Changeとの関連
「小さな成功(2)」── まず手の届く成果を出して信頼を得る。そして話を聞いてくれる人から始めるのは「イノベーター(16)」「アーリーアダプター(11)」の順序そのもの。全員を同時に説得しようとせず、受け入れやすい人から順に広げていく。
時間を味方につける
問題
小さく始めると、すぐには成果が見えない。短期的には何も変わっていないように見える。
解決策
時間を味方につけると割り切り、小さな積み上げを続ける。
ある社内推進者の言葉。やりやすいところから始めた火を、時間をかけて広げていく。一気に変わらないことに焦らない。回転寿司のネタもまた回ってくるかもしれない。時間軸を長くとることで、チャンスとの遭遇確率も上がる。
Fearless Changeとの関連
「種をまく(22)」── すぐに芽が出なくても、あちこちに種をまいておく。いつどこで芽が出るかはわからないが、まいておかなければ何も育たない。「勢いの持続(41)」── 小さな成功を途切れさせず、次の一手を打ち続ける。
ブームに乗る軸
問題
お金(予算)の取り方がわからない。自分のやりたいことと、組織が投資したいことが噛み合わない。
解決策
自分の軸をしっかりさせた上で、その時のブームに乗っかる。
自分のやりたいことが強すぎるとブームに乗りにくい。「削ぎ落として手を繋ぐ」とも連動する。軸を持ちつつ柔軟に時流に合わせるバランスが求められる。
具体例が一つ見えてきている。「AIが作れる時代に、開発者は何をする人なのか」で書いたAIオーケストレーター研修のコンセプトがそれだ。
- ブーム(時流):AI時代の開発者育成。今まさに組織が投資したい領域
- 自分の軸(ロマン):偉大な習慣を身につけた開発者。技術的卓越、テスト駆動開発、歩幅の調節。20年間ずっと憧れてきたもの
この二つが交わる点に研修を置いた。AIという入口から入って、中身は偉大な習慣につながっている。和田卓人氏やKent Beckの知恵をコピペし、まだコンセプトの段階で不完全なまま出している。ここから会社の文脈に合わせるローカライズに挑戦するところ。ここまでのパターンが全部動いている。
お金の取り方そのものはまだ「よくわからない」領域だが、ブームに乗る一歩は踏み出せている。予算は、この一歩の先にある話なのかもしれない。
未解決の問い
- ブームに乗った先で、お金(予算)をどうつけるか
- 乗るべきブームと乗らなくていいブームの見分け方
- 軸がブレずにブームに乗れている状態を、どう自覚するか
Fearless Changeとの関連
「便乗(21)」── 既存のイベントや流行に自分のアイデアを乗せる。AIブームという大きな波に、偉大な習慣という自分の軸を乗せる。波の力を借りることで、自分一人では届かない場所に運ばれる。
最初のフォロワー
問題
一人でもがいていても、それはムーブメントにはならない。
解決策
まず自分が不完全でも踊り始める。そして、最初のフォロワーが乗りやすい踊り方をする。
Derek SiversのTED Talk "How to start a movement"。一人で踊っている人はただの変な人だが、最初のフォロワーが加わることでムーブメントになる。
ロマンを持ってもがく姿自体が推進の一つの形にはなりそうだ、という直感がある。ただし「もがいている姿が周りに影響を与えている」という実感はまだない。「多分あるんだろうと思って進むしかない」。
この「実感がなくても進む」は、今の自分の動き方の根幹にある姿勢でもある。
個人パターンとの関係
個人では「弱いからチームを組む」で弱さの側からチームを設計する。組織への働きかけでは、もがく姿でフォロワーを引き寄せ、ムーブメントにしていく。どちらも弱さを隠さないことが起点になっている。
Fearless Changeとの関連
「コネクター(8)」── 人と人、アイデアとアイデアをつなぐ人。最初のフォロワーは、踊っている人と周囲をつなぐコネクターでもある。「アーリーアダプター(11)」── 新しいアイデアに最初に乗ってくれる人を見つけ、大切にする。
当時と今の違い ── 何が変わったのか
回転寿司のネタを取り損ねていた当時と、今の自分。自信は変わらずない。でも決定的に違うのは、「わからない、自信もない、でも動ける」という状態を許容できるようになったこと。
当時:小さな一歩が考えられない → 形にできない → 続けられない 今:まず壁打ちして → 軽く形にして → 人に話しに行く。その先はわからないけど動ける。
この変化を支えているのが、個人パターン(業の肯定、再起動の呪文、石のスープ)と、ここで書いた組織パターンの両方なのだと思われる。
今後の問い
- 「ブームに乗る軸」の先にある、お金(予算)の取り方
- AIオーケストレーター研修を、若手との対話の中でどう育てていくか
- 若手に伝えるとき、どのパターンから伝えると響くか
- 個人パターンの未執筆分(ぼんやりの鏡、別腹で学ぶ、路地裏、二層で届ける等)との関連
- 回転寿司のネタは、これからも流れてくる。次はどう掴むか
参考文献
Fearless Change ── 使いたかったのに使えなかった本
Mary Lynn Manns & Linda Rising『Fearless Change: Patterns for Introducing New Ideas』(2004年、第2版2015年)。邦訳は『Fearless Change ── アジャイルに効く アイデアを組織に広めるための48のパターン』(丸善出版、2014年)。
新しいアイデアを組織に広めるための48のパターンを収録したパターン・ランゲージ。アジャイル推進のための道具として使いたかったが、あまり使えなかった心残りがある。パターン名の日本語版一覧は川口恭伸氏のブログを参照。本文書中の括弧付き番号はこのリストに準拠している。
しかし振り返ると、この文書で書いた組織パターンの多くに、Fearless Changeのパターンとの対応関係があった。当時パターンの名前で認識できていれば、回転寿司のネタの価値にもっと気づけたかもしれない。以下に対応関係をまとめる。
| 本文書のパターン | Fearless Changeのパターン |
|---|---|
| 回転寿司の教訓(組織長) | 経営層の支持者(28)、達人を味方に(14) |
| 回転寿司の教訓(de:code) | 外部のお墨付き(12) |
| まずは妄想から | やってみる(17) |
| コピペとローカライズ | テイラーメイド(26) |
| 削ぎ落として手を繋ぐ | 協力を求める(6) |
| やりやすいところから火をつける | 小さな成功(2)、イノベーター(16)、アーリーアダプター(11) |
| 時間を味方につける | 種をまく(22)、勢いの持続(41) |
| ブームに乗る軸 | 便乗(21) |
| 最初のフォロワー | コネクター(8)、アーリーアダプター(11) |
自分の経験から帰納的にたどり着いたパターンが、Fearless Changeですでに言語化されていたものと重なっている。これは、Fearless Changeが「使えなかった」のではなく、当時の自分にこれらのパターンを実践する引き出しが足りなかったということなのだろう。今ならもう少し使えるかもしれない。
その他の参考
- Derek Sivers「How to start a movement」(TED Talk)── 最初のフォロワーの重要性
- 「自分の弱さと向き合うためのパターン・ランゲージ(の種)」── 本文書の個人版。業の肯定、再起動の呪文、レシピのない石のスープ
- 「AIが作れる時代に、開発者は何をする人なのか」── ブームに乗る軸の具体例。AIオーケストレーター研修コンセプト