※ 結論はまだ出てません。GrokセンセイとChatGPTセンセイに相談しながら考えている途中の話です。
最近、生成AIと一緒にコードを書いてます。
速いし、正確だし、(多分)よくできている。私よりもずっといいコードを書いてくれてる…ハズなんですが「なんかつまらない」んですよね。
動いてはいる。
正しそうでもある。
でも、楽しくない。
その辺のことをつぶやいたポストがこちら。スゴいんだけど、楽しくない…。
「生成AIスゴい」は確かにあるんだが、「楽しい」が欠落している
— nobiinu_and (@nobiinu_and) 2025年12月13日
で、このことをGrokセンセイとChatGPTセンセイに掘ってもらったので、内容を説明してみます。
予測型の開発は、うまくいきすぎる
私は以下のような流れで開発をしてました。
AI曰く「予測型」、t-wada氏の言うところの「委託」モード(のはず)。
- 要件を書く
- AIに渡して、設計と実装を依頼する
- それっぽい設計と実装が一気に出てくる
モデリングやアーキテクチャが苦手な私は「そうなのかー」と受け取って、コミットして、テストするだけな感じ。
完全に「出てきたものを眺める人」になってました。
そりゃ楽しくないわけです。
ChatGPTセンセイ曰く、「生成AIが前に出すぎると、人は『観客』になります」
……確かに。
楽しくない中で、楽しいと感じたところ
じゃ、すべての時間が楽しくなかったかというとそうではありません。
テストコードの整理については、多少コメントができていました。この時はちょっと楽しかった。
でも、プロダクトコードになると、急に言葉が出てこなくなる。楽しくない。
自分が、なぜテストコードにはコメントできて、プロダクトコードにはできないのか。少し考えてみました。
コメントできるのは、「こうすべき」が決まりやすいところ
考えていて気づいたのは、コメントできているところには共通点がある、ということでした。
それは、「こうすべき」が決まりやすいという点です。
テストコードは、
- 入力と期待値がはっきりしている
- 失敗の理由が比較的明確
- 直す方向が見えやすい
一方で、プロダクトコードや設計は、
- 正解が一つではない
- 現状に応じて着地点を探る必要がある
すぐにコメントできるものではなさそう。
つまり、判断基準がはっきりしているときだけ、口を出せていた、ということみたいです。
プロジェクト支援の経験とYAGNI
ふと、普段のプロジェクト支援のことを思い出しました。
アジャイル開発の理想と、チームの現実の間には、たいていギャップがあります。
だから、「このチームの現状と制約の中で、最初の一歩をどこに置くか」を考えます。
いきなり理想に行かない。制約を前提に一歩目を探す。
※ そうはいっても、考えた一歩が大きすぎて困ったことになることも多々ありますが…
生成AIとの開発は、(わたし的に)理想的な設計?まで一気にたどり着けちゃうんですよね。コストもほぼかからない。
そんな状況において、その理想が本当に今必要なのか?を考えるためには何かしらの制約が必要で…と考えてたら、YAGNI、「You Ain't Gonna Need It」(そんな機能は必要ないだろう)のキーワードを思い出しました。
ChatGPTセンセイ曰く「YAGNIは生成AI時代の開発においてむしろ重要性が増している」
この「制約としてのYAGNI」という考えを、そのままChatGPTセンセイにも投げてみました。
すると返ってきたのは、だいたいこんな話でした。
生成AIとの開発では、「何を作るか」よりも「何を今は作らないか」を意識できるかが重要になる
その意味で、YAGNIは生成AI時代の開発において、むしろ重要性が増しているのではないか
……確かに、そんな気がします。
生成AIがいると、「できるかどうか」はほとんど問題にならない。 だからこそ、それを今やる意味はあるのか、今決めてしまっていいのか、あとで困らないか、といった問いを、人間が引き受けないといけない。
人間、大変だなぁ…(遠い目
でも、やっぱりニンゲンのセンセイにも聞きたい
とはいえ、ここまで全部AIに整理してもらっておいて、「はい、分かりました」で終わるのも、それはそれで違う気がしています。
YAGNIって、XPやアジャイルの文脈ではどういう位置づけで使われてきたのか。
現場で実際に使ってきた人たちは、どんな感覚で「今はやらない」を選んでいたのか。
生成AIがいなかった時代に、それでもYAGNIが必要だった理由は、何だったのか。
おわりに
ここまで書いてきて、ひとつだけはっきりしたことがあります。
生成AIと開発して楽しくなかったのは、コメントできなかったから。
出てきたコードを眺めることはできるけど、判断したり、口出ししたりする余地がなかった。
だから、観客になってしまっていた。
YAGNIは、その理由を考えている途中で見えてきた考え方だと思ってます。
コメントや口出しをする余地を生み出すための、ひとつの仕掛けのようなもの。
この先ニンゲンのセンセイに話を聞くなかで、そのあたりがもう少しはっきりしてきたら改めてまとめてみようと思います。











